確か数年前、話題になった韓国映画『パラサイト』の劇中に
主人公の父の話があって、
『計画を立てても計画通りには行かない。
それならそもそも計画自体無い方が人生上手く行くんだ。』
と言うセリフが有って考えさせられた。
例えば農業にしろ漁業にしろ前年の取れ高なんかを考えて今年の計算したりするが、
その年の気候や経済の変動で期待していた結果が全くでない場合が有る。
全国的に豊作になったらなったで有り得ないくらい値が下がる。
また住宅ローンにしろ今現在の収入や社会状況がこのまま続く想定で組まれるが、
当然そんな事は無く、
無いからサブプライムローンガーだのリーマンショックだの言う事になる。
結局のところ、計画を立てた方がいいのか立てない方がいいのか
立てなきゃ立てないで全然話は前に進んでいかないのだ。
ある蜘蛛が居て軒先に巣を掛ければ夜、室内灯の光に寄って来た蛾も獲れるし
雨風も有る程度しのげるから便利と思っていても、苦労して巣を掛けてみれば
家主にあっと言う間に壊されて作り直しになるようなもんである。
それでも巣を作り直さねば餌が取れないのであり、
否応なしにどこかにまた巣を作り直さねばならぬ。
これを人間に例えるなら、仮に何かに失敗したとしても
生きて行くためにはまた同じことをどこか手直しして始めねばならぬ
と言う事である。
何もしなくていいなら、それはラクだがそうはいかない。
何もしなかったとしたら、恐らくそのしわ寄せはどこかに行くだろう。
なぜ人間社会は既得権益にこうもこだわるのか。
巣を掛けた場所が大当たりなら余計な苦労はしなくていい事を考えれば
現状維持に躍起になるのは当然と言えば当然か。
三途の川の上に垂れた蜘蛛の糸である。