社会構造と言うのはフラクタル(相似形)で出来ている。
だからこの概念が理解出来ると世界構造の理解も各段に早まるのである。
ひとりの人間の生命活動も世界経済も同じ動きをしている。
それは世界経済と言うものがひとりひとりの人間の活動から成り立っているからである。
人が集まって村、村が集まって国、国が集まって世界が成り立っている。
ひとりの人間に水食糧エネルギーが必要なように
世界経済もまた水食糧エネルギーを人類全体として欲しているのが理解出来るだろう。
国家もまた家族の人間関係と置き換える事も可能なのである。(今は独居が多いが
その昔、私がまだ幼いころ、私は国家と言うものを難解に考えていて
国家と子供の喧嘩は違うだろう、などと考えていたが
基本的には同じである。
宗教と見せかけてカネ、思想と見せかけてエネルギー。
単なるガキのひったくり合いである。
この様な単純な構造を難しく見せているのがアカデミズム由来の学問であり、
専門用語や小難しい概念である。MMTやらトリクルダウンやら
ニューディール政策である。
彼らは単純な構造を細切れにし、小難しい用語を山ほどこさえて
問題を複雑化し、アカデミズム外の人間に理解させまいとしているフシがある。
専門的ブラックボックスは既得権益になり得る魔法の箱だからである。
しかし何の事は無い世の中、
カネによって社会は動き、変えられている事は説明の余地は無いだろう。
交付金によって補助金によって賄賂によって談合によって社会は動くのである。
決して自由経済が有る訳では無い。自由なのは末端である。血管の中だけである。
どんな細胞も血流の栄養無くして生きられない。
人間社会もまた貨幣経済無くして成り立たないのである。
爪や髪の細胞が爪や髪としてしか機能しない様に
人間社会にも職業と言うものが有る。そうして社会は有機的に未来に向かって
変化を続けるわけである。
人間が社会の毒に塗れる時、
また社会全体も老化し機能不全に陥る事が理解出来るだろう。
こうして行くとべっつにアカデミズムの学者などが居なくても
現代社会のナニがダメなのか根本が分かって来るのである。