記憶消します

その昔、記憶売ります。とか言うSF小説が有った気がするが、

この年になって思う事は記憶を増やすよりも

記憶を減らした方がより良い人生を送れるに違いないと言う事だ。

もし、記憶のデリート屋が居たならば

私は自身の記憶を殆ど消してしまうだろう。

生活に必要な最低限の知識を除いて。

 

人生量よりも質である。

 

子供の頃は何でも知りたがったものだが、

今にして思うと余計な事はむしろ知らない方がいい。

人生は圧倒的に知らなくても良い様な事ばかりなのである。

 

余計な情報を知ってしまったがゆえに

集中できない事はよくある事で

 

非効率になるくらいなら、いっそ余計な情報は無い方が好ましい。

特に創作となると一層その色は濃くなる。

 

と言うのも世の中の事を知れば知るほど

創作などと言う戯れなどやっていられなくなるからである。

価値を見出せなくなると言う感じである。

 

価値を見出せない事に全力投球など出来る筈もないから

自然と時間など割かなくなってしまう。

無関心になってしまうのである。

 

現実主義になればなるほど映画など見てられない。

この映画にはこんな意味が有るとか作者はこんな気持ちとかすごくどうでもいい。

大事なのは迫りくる現実に対処する事なのだ。

 

迫りくる現実と言うのは情報量に比例する。

だから情報の大津波に流されたくないならば

情報なんか見ない事である。知らない事である。

 

そうすれば大波は来ずに

浜辺のさざ波程度で済むのである。

 

例えば重要情報を逃がして災害危険地区で土砂崩れで死んだとしましょうよ。

でも、死ぬ直前まで余計な事は考えず人生楽しめたんだから

それはそれで良かったんじゃあないの?

 

どうせ誰しもいつかは死ぬわけですし。